フォト

ギャラリーバウハウスの展示

オンラインギャラリー

バナー

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

無料ブログはココログ

🐦❤️🇻🇳お知らせ

お知らせC20cecfe213d4f599cd752b3921e4a80
11月11日長徳ブラパチワークショップ。
柴又矢切の渡し車寅次郎⛩

🐦❤️🇻🇳ギャラリーバウハウス田中長徳写真展HAN DINハノイディエンビエンフー11月17日まで

2018年10月23日 (火)

矢切の渡しの記憶が曖昧

矢切の渡しの記憶が曖昧Cdc38f0e220d4e3081158dbd7027c65a
矢切の渡しはいつもウィークデイに見に行っていた。20年位前だったか藤田66を携えて行った。
レンズは80ミリのトリプレットであった。晴れた日の午後に撮影したのであるからうつるのは当たり前である。

それを日本カメラから出した名機礼讃の口絵に掲載した記憶があるので本を調べてみたら第一回と第二間には矢切の渡しの写真は無い。それなら第3巻だと思って本を取り出してみたらカバーは大さんなのだが中身は第二巻であった。
それで結局分からずじまいである。私が調べたかったのはこの間ブラパチワークショップのロケハンで矢切の渡しに行ったときそこに建てられているぼっくいが新しくなったらしいと言うことであった。

以前に見た時は船着場のエントランスの左にその棒があって文字などは完全に剥がれていたのである。それが今回見たらそのぼっくいは搭乗口と言うのは変であるがエントランスの右側にあって新しくなっていた。

思うにたくさんの観光客が来てそのポストの前で記念写真を撮ると乗客の乗り込みの邪魔になるからずっと右側に移したものであると思われる。

この場所に日曜に来たのは今回が初めてであるが長い列ができていた。定員20名位らしいが実際には25人ぐらい乗せていた。

松戸市のほうに行く時は船頭さんはゆっくりろをこいで行くのである。
だからすごい時間がかかる。松戸側から柴又川に来るときには船外機を使って早くしている。もともとこの私馬場交通の便のために作られたわけだから観光客が情緒を求めると言うのは無理であろう。

ベトナムの古い都Fueに行ったときに歴代の皇帝の古いお墓を訪問するので複雑に流れている水路をやはり渡船でわたったことがあった。
ジャングルの中にあるクリークである。この渡船は地元の人々の重要な生活の足になっているから努力はもちろん船外機であった。

2018年10月22日 (月)

東京バルコニー

東京バルコニー563b42a39b0f40ff84d791ccfd2d95c5

ギャラリーバウハウスで開催中の私のハノイディエンビエンフーの個展も後半に入った。いつも御茶ノ水から聖橋を越えてギャラリーに通っているのである。その聖橋の北詰が気にいっていてそこを東京バルコニーと名付けてギャラリーの帰りに夜景を見ながらちょっと立ち飲みをしたりする。

先月22日の沢木さんとの対談の後もここに有志が集まってオープニングレセプションをしたのである。

片岡義男さんの最近出たコーヒーの本でも片岡さんは聖橋の上から集中的に目の下を出たり入ったりする地下鉄丸ノ内線を映している。ここはギャラリーと結びついて東京で最もエキセントリックな撮影ポイントであると言うことができる。

2018年10月21日 (日)

河内で12ミリで取る

20180910han_6

8月に河内に行った時に撮影した作品である。これは12ミリレンズを使用している。12ミリレンズと言うのを私はほとんど使わなくて以前はホロゴン15ミリを使っていた。
エディトリアルで見開きページ等ではすごく効果があった。

このレンズはCosinaが新ビジネスをスタートさせたときに使い始めたものである。指折り数えてみれば四半世紀の大昔の話だ。発売当時に作例写真を撮っただけでそのまま使ったことがなかったがこの8月の猛暑の時このレンズで河内で撮影をした。驚いたことにその撮影結果は非常によかったのである。

12ミリの広角レンズであるからカメラアングルに注意しないと変な歪み方をする。それは好みではないのでファインダーは使わずにカメラを水平に保持していることを確認するだけで撮影をするのが私のやり方である。

10数年前に出したライカの本で12ミリレンズでパリをとった作品が単行本に乗っているが今見てもあまり成功したショットとは言えない。しかし今回の作品は何とか及第点までは行っているのではないか考えている。

12ミリと言うのは何にでも向いていると言うレンズではなくてレンズの方が都会を選ぶようなところがある。
ギャラリーバウハウスの今回の展示で赤丸がついた作品でもある。

前回の沢木さんとの対談は大成功であった。一方で田中長徳研究家から手書きの便箋で20,000wに及ぶ写真展の感想が来た。その中で彼が言うのは私の河内の話も聞きたかったとあった。それで小滝ディレクターと相談してスケジュールが合えば2度目のワンマンの講演会をやってみたい。
Img_8850


2018年10月20日 (土)

カメラアート編集長等々力国香さん8月24日ご逝去享年90

ギャラリーバウハウスで開催中の私の写真展のご案内を50年来お世話になっているカメラアートの等々力さんにお送りしたら奥様から8月24日にご逝去の報に接する。享年90歳であった。

等々力編集長には大変お世話になった。
京橋の日の出ビルと言うのは大昔のビルであるからエレベーターがない。その最上階にカメラアートの事務所があった。等々力さんはアルピニストだったから階段など問題にならなかったのに違いない。

1976年秋のフォトキナで取材のお手伝いをした。インターネットが登場する何十年も前であるから頑丈な靴を履いて1日40キロ歩けるようなしかも重い重い重いプレス資料を持ち歩けるような男と言うことで私が指名されたものと見える。

トップクラスの日本で発行されたカメラ情報誌であったが同時に写真アート作品の掲載にも力を入れていた。私は何年かスナップショットの連載をやらせてもらった。
憧れの写真家リーフリードランダにオーストリアで会ったときそのカメラハートの1連の連載を見せたら大変喜んでくれたのも懐かしい。これがフリードランダーさんとのお付き合いの始まりなのである。

当時のCamera Artに作品を掲載してもらってそれを足がかりとなって世界に伸びていった連中は数少なくは無いのだ。

2018年10月19日 (金)

東京パノラマ撮影。黒猫のしっぽが役に立つ

東京パノラマ撮影。黒猫のしっぽが役に立つImg_8835

ソ連製のパノラマカメラホリゾントを最初に買ったのは1975年の東ベルリンのことだった。当時高価なカメラでなかなか西側の経済圏では手に入らなかったのである。

東ドイツのカメラ屋で新品で買った。値段もよく覚えている750東ドイツマルクだった。東独ではかなりの高いカメラになる。

以来そのカメラをずっと持ち歩いてヨーロッパ中を撮影した。そのプリント200数十枚が最近発見されて今写真集になろうとしている。誠にありがたいことである。

このカメラは実に40年以上使っているから自分の体の1部になっている。暗闇でもフイルム装填ができる。

パノラマカメラがどれだけの角度で風景を移し取るのかは分かっているからファインダーは覗かない。しかし私の視力は40年前のようではないからシャッタースピードと絞りを設定するのが面倒であった。

ちょうどハロウィンの前でシールを持ち歩いているのでその中の黒猫のシールをカメラのインデックスがわりに貼ってみたのである。

黒猫のしっぽの先の曲がったところに指標を合わせればセッティングがオーケーと言うやつだ。これは我ながらうまいアイデアであった感心しているのである。

2018年10月18日 (木)

Camex 8倍ズーム付きのアンジェニュー

8倍ズーム付きのアンジェニュー8796423c233540a4937b4759751fcf3d
パリにある大昔の8ミリ映画撮影機の会社である。
Ercsam.という名前だった。パリの北の駅からすぐ近くなので歩いてそこらを散歩した。
同じパリで制作されたのでよく間違えるのであるがCamex とCameflexとは全く異なるカメラでメーカーも違う。

Camexは私のwin時代に大活躍した8ミリカメラであった。ズームレンズが2本とプライムレンズが4本付いていた。Kodachromeで撮影した。その時色彩は半世紀経った今も変わっていない。そのことを思い出して、このカメラがebay登場すると買うようにしている。
1957年頃にはライカカメラより高い値段であった。

たいていはフランスの田舎町で発見されるのである。それを私とカメラ人類の野々宮が購入いたらフランス本土のカメラはほぼ絶滅状態になった。

でもそれから2年ぐらい我慢していたらまたぼつぼつ出るようになった。このAngenieuxのズームレンズは当時としては高い倍率の8倍ズームなのである。値段もかなり高かったようだ。

このようにカメラのアウトフィットを見るとフイルム現像所に送る封筒が一緒に入っている。これのお世話にはなりましたね。Wienの7年半におそらく数百本のフィルムを撮影して切手をなめて封筒に貼って現像所に送った。

フィルムは手元に出てきたが1本ののフイルムだけはついに届かなかった。事故率としては低いような気がするが私は残念でならない。その1本のフィルムは私がウィーンでおたふくかぜに何いたときの貴重なドキュメンタリーなのである。

このカメラでもそうだがカメラのハンドグリップが後前についている。これは売り手さんがこのカメラを知らないせいだ。

2018年10月17日 (水)

ハロウィンて万聖節だろう?

Img_8830
ヨーロッパでは11月1日は万聖節である。日本のお墓参りのようなもので家族で墓地に参拝に行く。人間の生き死にに関してよく考える宗教的な日なのである。
11月1日はヨーロッパでは完全な冬である。万物かれ切った風景である。

アメリカ合衆国ではその1日前にハロウィンやるけどそれが形だけ伝来してしまったのがわが国である。

年寄りから見て1番腹立たしいのはハロウィンの背景には宗教もなければ思想もないと言うことである。楽しければなんでもいいじゃんと若いお母さんに言われそうだがそれは許しません。

日本で私の知る限り最初にハロウィンのアクションを伝承したのは碑文谷にあった優秀なフォトギャラリーギャラリーMinであった。城田さんはアメリカに長く留学していたのでそこら辺をよく知っていた。それでハロウィンの夜になると子供たち引率して隣近所を回ってトリックorトリートなどとやっていた。これが30数年前の話であるから当時はハロウィンなんて誰も知らなかった。

それが商業主義の手にかかってこんなことになってしまった。日本民族として情けないほ。

それで私が爺が奮起してハロウィンを国民の手に取り戻す運動を開始した。まずはブラパチワークショップに参加した人々にこーゆーシンボルのバッチを配ったのである。

キャラクターは西洋お化けであるが手のひらの使い方が日本のお化けであるところが面白い。
いわゆるバケバケスタイルは日本のお化けのアクションである。

2018年10月16日 (火)

?堀切方丈記

堀切方丈記Img_0323
ブラパチワークショップで歩いた堀切の大発見である。地元には有名なランドマークなのであろうが私はこれを知らなかった。前回立石バーガーにロケハンに行ったとその前を通っていたはずであるが自分は一体何を見ていたのだろうか?

堀切の菖蒲園と言うと有名であるがそこに今度は堀切の方丈記が加わった。
でも実際のランドマークの佇まいは日本ではなくてむしろメルヘンぽい。

森の木陰でドンジャラホイという感じだ。

この敷地の1番通路側には大理石をベースにした柿があって水が延々と流れている。その脇に立て札があってこの水は飲めないと書いてある。ソコロからして不思議である。

この森の中の小屋は脇に水車がついている。だから水車が回ると自家発電で小さな小屋の中のランプの明かりがつく仕組みなのかもしれない。ただ実際には水車は回っていなかった。

それで私は宣言して本日からこの水車小屋に住むことにした。

美しい水車小屋の娘ならぬ
美しい水車小屋のひげ爺である

この水車小屋を見て痛感するのはこれが葛飾区の仕事ではないような気がすることだ。要するに下請け業者に作らせたようながさつなものではない。世界中でこういう場所にある物件をいろいろ見てきたがこれはトップクラスだと思う。

ルコルビジェの最後に居住した南仏のログハウスみたいなものか?

Afe32199bf404932ad370fa8b5eb40bd


2018年10月15日 (月)

プラハのアトリエの最後の日々

プラハのアトリエの最後の日々1

プラハのアトリエには30年近く暮らしたのである。この場所はプラハの街の北部にあってプラハ工科大学と隣り合っていた。プラハの6区と言うのはいわゆる文教地区であってこのアトリエのある建物は1930年代に作られたが最上階は画家のアトリエになっている。

当時の建築基準法で5fまではエレベーターがなくてもオーケーであって6fの屋根裏部屋母エレベーターなしでオーケーと言うことであったらしい。

ここに暮らし始めた30代の頃は結局6階まで階段を上ってなんともなかったが毎年徐々に階段が高くなってきた感じがする。
それで数年前ヒキ払った。それ以来プラハに行った時はホテル暮らしである。ホテルがすごいなと思うのはエレベーターがついていることだ。エレベーターのない建物に暮らしているとそんなことも素晴らしいことに思える。

近くにソ連大使館の文化部があって組織がロシアになったときに共産党を称えるいろいろなデコレーションが門の前に捨てられていた。興味本位にそれを拾ってきて当時私がやっていたカメラジャーナルと言う冊子の表紙に登場させるカメラのバックに使った事もあった。国家が1つの体勢からもう一つの体制に移行する時それまで尊敬され言っていた環境などは簡単に捨てられるものなのだと痛感した。


2018年10月14日 (日)

日本経済新聞に紹介されたいわゆる鳥が走ってます写真について

日経に紹介されたいわゆる鳥が走っています写真についてImg_8813_2
インドシナ戦争でベトナムがフランスに対して決定的な勝利を決定付けたのがディエンビエンフーであった。ハノイの西400キロ弱のラオスとの国境に近い街なのであるが交通が不便なのでベトナムのたびに慣れている人でもなかなか訪問する機会のない場所のようだ。

飛行機の便が悪いので私も覚悟して出かけた。この5月の事だがその時はハノイにはいかなかった。
日本軍が建設した飛行場の滑走路があって町から歩いて15分位の距離なのである。歩いてホテルまで行くつもりであったがタクシーに乗ってしまった。その滑走路を今でも使っているのだ。ただしランウェイは短いからジェットは無理でターボプロップである。

宿泊したホテルの名前はルビーと言うのである。Google マップで見ていたら中心街でもあるし賑やかな商店街であろうかと予想していたら完全なカントリーロードであったので逆にそのことが嬉しかった。

軍用のライカカメラに35ミリのレンズだけつけて通りに出たらいきなり軍鶏の攻撃を受けた。この界隈はもともと鶏の原産地だそうである。昔のハノイではしゃも戦わせてそれが庶民の楽しみであったようだ。ハノイでも大体大きな市場の裏あたりで市民が集ってしゃもを戦わせていた。

でもこういうファイトは実際には小額のお金をかけているのである。それほどおじさんたちの表情が真剣なのである。

通りがかりに私は写真に写っているしゃもにちょっと脅かされた。この前のギャラリーバウハウスのトークでは沢木さんとの対談で彼がポルトガルの岬で犬にほえられた話が話題になった。犬に吠えられる位であるから偉大なポエットであるというのが私の意見である。

チベットに潜入したKawaguchi Ekaiだって
Taneda Santoukaもみんな犬に吠えられているのだ。つまり犬に吠えられるようでなければポエトとしては1人前ではないという意味でそのことを沢木さんに申し上げた。

犬に吠えられるのではないがしゃもに追いかけられると言うのはレベルとしてはかなり下の方には違いないがとりあえず私もポエトの端くれと言うことにしておく。

私の写真展にはジンクスがあってこの数年間ポストカードに使用した写真は売れないと言うのが定石なのである。ところが日本経済新聞のおかげでポストカードに使われた鶏に追っかけられる写真家のセルフポートレートは売れた。誠にありがたい次第である。

«いつも予約でいっぱいの品川区の児童公園

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31