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🐦 2019年3月10日 ブラパチワークショップ開催決定😎🌈

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ブラパチフォトワークショップ開催します。2019年3月10日午後1時スタート。^_^場所は荒川遊園地。タイトルは なぜ荒川遊園地は隅田川遊園地ではないのか?です。 ウィーンからから帰ってきた1981年に荒川遊園地に初めて行ってびっくりしました。これこそ私の少年時代の遊園地の記憶そのものだったからです。ディズニーランドには行った事はありませんが荒川遊園地は私の少年時代の記憶の原点です。荒川遊園地は2022年までリニューアルでお休みですがこういう機会は滅多にありません。荒川遊園地の周りをウロウロしてそこから歩いて木村伊兵衛さんのお宅まで行きましょう。午後1時に都電荒川線三ノ輪橋駅停留所に集合です。

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2019年2月21日 (木)

チェコの有名映画カメラマンが愛用したKonvasAutomat

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映画というのはもともと映画撮影機がなければ存在しない。映画作家ヨリス・イヴェンスが中国の人民解放軍に最初の35ミリ映画撮影機Eyemoを提供して以来中国は映画が存在する国になった。当時の映画は非常に強力なプロパガンダであったからソ連を始めとする東側の国では西のカメラを真似して制作するのが非常に重要なミッションであった。

Konvas Automatはソ連がフランスの亀フレックスをモデルにして制作した高級カメラであった。タルコフスキーもデビューした頃は外にカメラがないのでこのカメラを使っていた。後年になってタルコフスキーはアメリカの有名な映画撮影機ミッチェルのソ連製のコピーを愛用していた。私は映画撮影機に興味があるがちょっとひねくれているのでオリジナルのアメリカのミッチェルではなくソ連で作られた偽物のミチェルを持っている。

コンバスオートマットはサウンドプルーフでなくて回転音がするから同時録音はできないがアフターレコーディングと言うのは当時映画制作ではごく普通のテクニックであった。手持ちの35ミリ映画撮影機でサウンドが取れるようになったのは1971年にミュンヘンオリンピックのために制作されたありフレックス35ビーエルが登場してからである。

2019年2月20日 (水)

Reverso

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ジャガールクルトのこの時計はもともとポロの競技のために作られたと言う。激しい運動なのでウォッチを傷つけないようにひっくり返して時計の裏側でプロテクターにするわけだ。

これは1932年12月号のフランスの雑誌からカットしたものである。当時のフランスでの価格は500フラン後半であった。と言われても現在の通貨価値だといくらなのがちょっとわからない。

最近友達がこの時計を手に入れて満足しているのでお祝いに当時の雑誌のカットページをあげると約束した。それで佃島のジャングルでこの1枚のカットページがどこにあるのかを考えていたのだが30秒以内に発見できた。いつも大事なネガフィルムをなくして周りに迷惑をかけている私としては上出来であった。

それにしてもうちの場合は大昔のデザインが一向に古くならないのはどういうわけだろうか?

最近のデジタルカメラはどれも全く同じ形に見える。すでに没個性などと言っていられるような生易しい段階ではない。それでデジ亀新人類はもっぱらスペックを追っかけ回しているのである。

2019年2月19日 (火)

コンタックスの35ミリレンズをアダプターでライカに連動させる件

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2011年の3月にマンハッタンに撮影に行った時カメラはライカM3に戦前のBiogon35ミリを持参した。コンタックスレンジファインダーマウントを距離計を連動させてライターにつけるアダプターがある。それを使って撮影したのである。ところがカールツアイスの35ミリレンズは距離計のカムの部分が当たってしまうのでレンジファインダーには連動しない。それで全然問題がないのである。目測で撮影した。広角レンズであるから5メーターに距離を合わせておけば全部がシャープに映る。

手元にあるコンタックスマウントの35ミリレンズにアダプターを付けていろいろ試してみたら面白いことにソ連製のジュピター35ミリだけがライカの距離計に連動するのである。これは大発見とも言えるが実際の撮影では35ミリのレンズはすべて目測だから実用性があるのかないのかそこら辺がよくわからない。

2019年2月18日 (月)

三ノ輪橋梅沢写真会館の上に住んでみたいなー

三ノ輪橋梅沢写真会館の上に住んでみたいなー

3月10日のブラパチワークショップのロケハンに行ってきた。梅沢写真会館と言うポストモダンのかっこいいビルがあってその真ん中が通抜け道になっている。ヨーロッパによくあるやつであるであるが日本ではなかなか見ない建物の敷地は個人の資産の平行だからそこを勝手に通行人が通ると言うのも問題なのだろうか?その写真館に昔から興味を持っていた。この建物の上の方がアパートメントになっているのならそんなところに1年ほど住んでみたいと思った。

梅沢写真館の通り抜け道のすぐ右側はお花屋さんになっている。私が東京を8x10の大型カメラで撮影を開始した1981年頃はそこは果物屋さんだった。果物の展示の仕方がなかなか良いので大型カメラで撮影をした記憶もある。

1960年代後半はこの界隈は私にとって親しい街並みであった。写真家の須田さんと一緒に須田さんのお友達の友人の家が新生の下駄屋の近くにあってそこに遊びに行ったことがある。木造建築の2階の6畳位の部屋で室内を真っ黒に塗ってあるのだ。そして本人は押し入れの中で寝るのである。昨日のロケハンでその界隈を歩いていた時にその人の苗字を思い出したのであるが、今書こうとしたらまた忘れてしまった。ザ・ピーナッツの月ちゃんと言う人の大変なファンであったのがこの真っ黒な部屋の住人だった。須田さんの友人だからカメラクラブつながりの人であったに違いない。

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2019年2月17日 (日)

荒川遊園地がベルリンの壁のコスプレをしている

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3月10日の恒例のブラパチワークショップのロケハンに行ってきた。集合場所の都電荒川線の三輪駅はてっちゃんで満員であった。そこから都電に乗って松屋の先の荒川遊園地前で降りた。最初から3年間荒川遊園地は閉まっていると言う事は知っている。親切に大きな看板も出ている。遊園地に向かうお店が閉店をしている。食べ物屋とかそういうのは3年間遊園地が休みではやはり打撃になるのであろう。

遊園地のエントランスまで行って非常にびっくりしたのは工事中のエリアを全部白い壁で囲ってあることだ。だから感動した。これはかつてのベルリンの壁のコスプレなのである。私はベルリンの壁に恋をしていた人間であるからベルリンの壁が亡くなった後は小菅の東京拘置所の壁をベルリンの壁に見立ててそこを歩いていたのである。その東京拘置所の壁も数年前に開放病棟になってしまって壁の感じは完全になくなってしまった。

講演会などで私はよくベルリンの壁を撮影したとかベルリンの壁に沿ってどこまでも歩いたと言うのであるが若い連中はそれがどういうものであるかを知らない。ところが荒川遊園地にベルリンの壁のレプリカが登場したのでこれは教育的な意味でも非常に効果が高い。

ベルリンの壁が建設された50周年の 2011年の8月に私はベルリンに取材に行ったのである。その時の未発表のエッセイは. 私のノートにベルリン8月の壁と言うので読むことができる。
https://note.mu/chotokucamera/m/m0e37ffa05841

2019年2月16日 (土)

駄カメラムーブメントが燃え広がる

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私の昔のカメラ雑誌の資料などを発見して送ってくれる九州の秋沢さんからポストカードが届いた。駄カメラ写真展の案内であった。同じ名前の東京の写真展で私も3回ほど参加したことがある。もともとこの写真展を企画したのは東京在住のクリエーター狐塚さんである。

狐塚さんは多彩な人でいろいろなことを展開している。かつては水泳の選手でもあった。一方で才能がありすぎて何かスタートさせても自分の才能がその自分のクリエイトした事を追い越してしまうからすぐに飽きるのである。ペーパープールと言う彼が作ったカフェもそうだしこの駄カメラ運動もそうである。前回の東京の駄カメラ写真展の時はもうやめたと言うようなことを狐塚さんは言っていた。でもそのカメラ革命のムーブメントが大阪方面でまた萌えだしたと言うのは素晴らしいことだと思う。

3000円以下のカメラで写真をとると言う事はカメラメーカーにしてみれば社会の敵と言うことになるのであろう。そこが面白い。今回の大阪の写真展で3000円以下のデジタルカメラで撮った人がいるかどうかは知らないがもしそういう人がいるとすればさらに面白いことになる。

なぜならばこの写真展に賛同して写真を展示する人はカメラの値段とそのアウトプットのギミックを知っているからである。

2019年2月15日 (金)

私の好きな荒川遊園地がなんと3年間のお休みとは

私の好きな荒川遊園地がなんと3年間のお休みとは. 05dd155d288245599b5ca79f41607521


毎月開催しているブラパチワークショップである。昨年の秋に三輪を歩いていて左足首を捻挫した。それで三輪でリベンジしようとアイデアを練っていたら三輪よりも荒川遊園地に行きたくなった。1980年に初めて行って非常に気にいった遊園地なのである。オーストリーのwinの街の南部にボヘミアのプラターと言うひなびた遊園地がある。荒川遊園地はそこに似ているのだ。遊園地がひなびていると言うのは必須の条件である。もちろん私は1度もネズミ園には行ったことない。

それで荒川遊園地方面のツアーを企画して念のためチェックしたらうれしいことに大改装のため3年間のお休みでもうその時期に入っている。私はひねくれ者だから普通はそれで撮影を中止するわけであるがその逆で改装中でしまっている荒川遊園地の周りをうろうろして写真を取りたいと急に意欲が湧いてきた。

それで3月10日の午後1時に都電荒川線の終点の三輪に集合してワークショップをスタートする。荒川区方面には東京の本来の街並みと言うのが残っている。最終的には木村伊兵衛さんのお住まいの東日暮里まで行く。木村さんのお住まいの隣にあったアメリカ軍の払い下げのお店にも半世紀来いっているのであるがもう閉店になったようだ。

2019年2月14日 (木)

グリーンのフィルターではなくグリーンのフィルター枠がかっこいい

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昨年の3月7日にJALのマイレージで広島に行った。これは変なロシアンルーレットであって自分で行き先を決められないのである。3つか4つある候補の中でJALが勝手に行き先を指定してくるのだ。一白2日でものすごい豪雨の日だった。スーパーシックスに緑色のフィルターをつけていた。

それはモノクロフィルムで撮影しているから写り方は若干違うかもしれないがまずそんなものであろう。緑色のフィルターをカメラにつけると気分が落ち着くと言う利点がある。でもフイルムカメラにはカラーフィルムを入れることもあるからフィルターのグラスが緑だと色が緑になってしまう。

ところがある日ガラクタ屋さんで緑色のフィルター枠のついているフィルターを発見した。クラシックなものだと思ったらどちらかと言うと現行の商品に近いようであってそれがなかなか面白い。どのような目的でフィルター枠をグリーンにしたのかわからないところが謎めいているのである。40.5ミリだからソ連製の各種のレンズにも使える。こういうフィルターをつけて撮影するとちょっとだけ写真が上手くなるような気がするのも面白い。

2019年2月13日 (水)

今田フレックスが二台

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戦前の今田フレックスの値段は2000円したそうだ。だから歌舞伎の偉い人とかそういうお金持ちしか買えなかった。レンジファインダーのコンタックス3が750円の時代である。でも今は私でも今田プレックスは買うことができる。しかも二台だから豪華なもんだ。

問題なのはその重さである。しかもその写りと言うのはコンタックスのレンジファインダと変わるところはない。純正の今田フレックスの買うケースはバランスがおかしくてやったらカメラが前に飲めるような感じである。だから革ケースはオリジナルではないカスタムメイドのを使っている。なかなか難しい組み合わせである。本田フレックスのレンズなどを数本入れるコンビネーションケースもあるのだがこれは売っているところは見たことがない。私の持っているのはアメリカのどっかのお金持ちが作ったカスタムメイドのコンビネーションケースである。

2019年2月12日 (火)

間宮の 2眼レフでフォーカシングが1つだけ付いているモデルが好き

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間宮の2眼レフは初めてレンズ交換を可能にした画期的なカメラであった。当時の西ドイツのローライがすぐその真似をしようとしたがうまくいかない結局ローライが出した製品はレンズは固定式の55ミリ広角と135ミリ望遠のいわゆるワイドアングルローライフレックスとテレローライフレックスであった。

この間宮のシリーズはかなり日本の戦後の写真機の歴史からすると初期に登場したもので手元のアサヒカメラの古い子などを見ると同時に発表されたのがミランドティーでありニコンエス型の交換レンズの25ミリから500ミリのレンズシリーズもその時に発表されている。それから延々と送り続けられた非常に寿命の長いレフである。

私が好きなのは1番最初のモデルフォーカシングは右側にしかついていないと言うやつだ。知らない人が見るとちょっとフォーカシングパーツが失われているように見える。このカメラについているのはオリジナルのケースとストラップのようであるが年代が経過してスカスカになった感じがいかにこのカメラが酷使されていたかと言うことを証明しているようで誠に心強い。

日本では営業写真館が使っていたカメラと言う認識があまりにも大きいのだが1970年の世界的な写真雑誌カメラマガジンであの有名なダイアンアーバスがこのカメラを使っていた。もっとも最初期モデルではなくて60年代に作られたフォーカシングホイールは2つあるやつである。でも私はこのフォトグラファーなが使っている真実はフレックスに非常に感銘を受けて真似をして間宮フレックスで東京を一生懸命撮影したのであった。レンズは65ミリを主に使った。調べてみるとダイアンアーバスは65ミリと135ミリをよく使ったようである。


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ごあいさつ

  • Note新ブログのお知らせ
    新ブログのお知らせ お世話になっております。2018年11月27日より tanakachotokuカメラノートがスタートしました。スポンサーに頼らないIndyなカメラストーリーです。
  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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